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外堀の本町橋
現在の名古屋都心・南北のメイン・ストリートは大津通りだが、江戸時代は「本町筋」だった。本丸の正門を出て、侍町である三の丸を南へ進むと「本町門」に至る。門を出て外堀に架かる橋が「本町橋」である。そこから南に下る、大須を経て熱田へ向かう中央道であった。
大津橋のところの石垣を見ると、道路拡幅のために石垣の改造が行われている。しかし、本町橋のたもとの石垣は隅石もあって昔のとおりに残されている。幅員は4間、碁盤割りの道路幅3間より広くなっていた。現在は、護国神社近くの交通量の少ない道である。

江戸時代は木製の土橋であったと思われるが、今は鉄筋コンクリート製、下部は煉瓦アーチである。明治44年(1911)に架け替えられた。親柱に「本町橋」「明治四十四年七月」と刻まれている。土塁の大木や外堀通りの街路樹が繁っていて、夏の取材だったけれど暑さを感じなかった。
北東側の樹林の中に踏み分け道があって、辿っていくと石碑が立っている。御影石のレリーフに、馬と犬と鳩の絵が描かれている。「軍馬」「軍犬」「軍鳩」(伝書鳩?)の文字も記されていて、戦争で命を落とした動物の慰霊碑であることが分かる。
大津橋のところの石垣を見ると、道路拡幅のために石垣の改造が行われている。しかし、本町橋のたもとの石垣は隅石もあって昔のとおりに残されている。幅員は4間、碁盤割りの道路幅3間より広くなっていた。現在は、護国神社近くの交通量の少ない道である。

江戸時代は木製の土橋であったと思われるが、今は鉄筋コンクリート製、下部は煉瓦アーチである。明治44年(1911)に架け替えられた。親柱に「本町橋」「明治四十四年七月」と刻まれている。土塁の大木や外堀通りの街路樹が繁っていて、夏の取材だったけれど暑さを感じなかった。
北東側の樹林の中に踏み分け道があって、辿っていくと石碑が立っている。御影石のレリーフに、馬と犬と鳩の絵が描かれている。「軍馬」「軍犬」「軍鳩」(伝書鳩?)の文字も記されていて、戦争で命を落とした動物の慰霊碑であることが分かる。
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