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中山七里と境橋
国道41号は名古屋から小牧・美濃加茂を経て、下呂・高山・飛騨を通って富山に至る。日本列島の最も幅広い所を横断する道路である。JR高山線も岐阜が起点であるが、ほぼ同じルートを走る。途中、飛騨川に沿って北上する。
飛騨金山駅近くに架かる「境橋」から、下呂の「六見橋」あたりまでの渓谷を「中山七里」と呼ぶ。急峻な山地を飛騨川が浸食したもので、奇岩が多く岩ツツジなどもへばりついている。春は桜、秋は紅葉が美しく、夏は蛍が飛び交うという。

「境橋」の架かるこの地は、かつて美濃と飛騨の国境になっていた場所である。尾張と三河の国境いを流れる川を「境川」と呼ぶのと同じであろう。初めて橋で繋がったのは明治12年(1879)のこと。その後、数回に亘って洪水で流されてしまった。現在のものは昭和5年に造られた。
橋を渡った東側に、お地蔵様と簡単な道しるべがある。子安自蔵、住吉権現と刻まれた石柱も立っている。その手前の舗装にマンホールがあって、鋳鉄に「国土地理院・水準点」と記されている。ここは、伊能忠敬が「飛騨の起点」と定めた地点という。

飛騨金山駅近くに架かる「境橋」から、下呂の「六見橋」あたりまでの渓谷を「中山七里」と呼ぶ。急峻な山地を飛騨川が浸食したもので、奇岩が多く岩ツツジなどもへばりついている。春は桜、秋は紅葉が美しく、夏は蛍が飛び交うという。

「境橋」の架かるこの地は、かつて美濃と飛騨の国境になっていた場所である。尾張と三河の国境いを流れる川を「境川」と呼ぶのと同じであろう。初めて橋で繋がったのは明治12年(1879)のこと。その後、数回に亘って洪水で流されてしまった。現在のものは昭和5年に造られた。
橋を渡った東側に、お地蔵様と簡単な道しるべがある。子安自蔵、住吉権現と刻まれた石柱も立っている。その手前の舗装にマンホールがあって、鋳鉄に「国土地理院・水準点」と記されている。ここは、伊能忠敬が「飛騨の起点」と定めた地点という。

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