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金山宿の「筋骨」と金山橋
飛騨街道は越中街道・鯖街道とも呼ばれ、美濃から飛騨そして越中(富山)を結ぶ重要な街道であった。中山道の太田宿から枝分かれして北上する。金山宿・下呂宿・高山宿・古川宿など、現在も魅力的な町並みを残す宿場町が点在する。
金山宿は、美濃と飛騨の国ざかいにあり、また飛騨川と馬瀬川の合流点にある。幾筋かの街道や脇道が出合う所であり、舟運の拠点「金山湊」があったことから、多くの物資が集められ、経済的にも大きく発展していた。今も重厚な「造り酒屋」や木造三階建ての「お城造りの家」などが残っている。

現在は金山橋により飛騨川と馬瀬川の合流点を跨いでいるが、かつては「大船渡の渡し」により舟で行き来していた。昭和3年(1928)に左岸側に鉄道が開通し、右岸側の宿場町と繋ぐために「金山橋」が架けられた。二重トラス構造の珍しい形をしている。
飛騨街道の両側には、狭い迷路のような脇道が張り巡らされている。「筋骨(きんこつ)」と呼ぶ。家と家、石積みと石積みの間に1m内外の狭い道が続いている。階段を降りた所に「清水」があった。町人の大切な生活用水で、「1号池は飲み水・2号池は冷し物・3号池は食器や野菜洗い・4号池は洗濯物」との規定を記した看板が掲げられている。

金山宿は、美濃と飛騨の国ざかいにあり、また飛騨川と馬瀬川の合流点にある。幾筋かの街道や脇道が出合う所であり、舟運の拠点「金山湊」があったことから、多くの物資が集められ、経済的にも大きく発展していた。今も重厚な「造り酒屋」や木造三階建ての「お城造りの家」などが残っている。

現在は金山橋により飛騨川と馬瀬川の合流点を跨いでいるが、かつては「大船渡の渡し」により舟で行き来していた。昭和3年(1928)に左岸側に鉄道が開通し、右岸側の宿場町と繋ぐために「金山橋」が架けられた。二重トラス構造の珍しい形をしている。
飛騨街道の両側には、狭い迷路のような脇道が張り巡らされている。「筋骨(きんこつ)」と呼ぶ。家と家、石積みと石積みの間に1m内外の狭い道が続いている。階段を降りた所に「清水」があった。町人の大切な生活用水で、「1号池は飲み水・2号池は冷し物・3号池は食器や野菜洗い・4号池は洗濯物」との規定を記した看板が掲げられている。

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