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桑名宿と矢田立場
東海道五十三次は,宮の宿(熱田)から桑名の宿までは唯一の海路である。「七里の渡し」という。どちらの湊にも鳥居が立っていた。宮には現在はないが、歌川広重の浮世絵を見ると描かれている。桑名は伊勢神宮参りの一の鳥居であり、宮は熱田神宮への一の鳥居であった。
桑名の宿は、桑名城(現在は九華公園)に接して置かれていた。渡し舟は天候に左右されるので、出航待ちのために、やむなく宿泊する人も多かった。江戸時代の調査では、本陣2・脇本陣4・旅籠屋120という数で、五十三次の中では宮宿に次ぐ2番目の大きさだったという。

現在も旧東海道は、舗装の色を変えて分かりやすくなっている。道沿いには、料理旅館などが今も残っている。桑名宿から半里(2km)ほど南へ下った所に「矢田立場」があった。「立場」というのは宿場と宿場の中間にあって、旅人が休憩する茶店などが集まっている所である。
次の四日市宿までは3里8丁の距離がある。五十三次の平均は2里3丁ほどであるので、1.5倍ほど長いことになる。そこで休憩する所が必要であった。「この立場は食物自由にして、河海の魚鱗、山野の蔬菜四時無き事なし」と記録されている。町角に、往時のような火の見櫓が立っていた。

桑名の宿は、桑名城(現在は九華公園)に接して置かれていた。渡し舟は天候に左右されるので、出航待ちのために、やむなく宿泊する人も多かった。江戸時代の調査では、本陣2・脇本陣4・旅籠屋120という数で、五十三次の中では宮宿に次ぐ2番目の大きさだったという。

現在も旧東海道は、舗装の色を変えて分かりやすくなっている。道沿いには、料理旅館などが今も残っている。桑名宿から半里(2km)ほど南へ下った所に「矢田立場」があった。「立場」というのは宿場と宿場の中間にあって、旅人が休憩する茶店などが集まっている所である。
次の四日市宿までは3里8丁の距離がある。五十三次の平均は2里3丁ほどであるので、1.5倍ほど長いことになる。そこで休憩する所が必要であった。「この立場は食物自由にして、河海の魚鱗、山野の蔬菜四時無き事なし」と記録されている。町角に、往時のような火の見櫓が立っていた。

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