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半田の常楽寺
名鉄河和線・成岩駅近くの常楽寺は、文明16年(1484)に開基された古刹である。尾張初代藩主・徳川義直公から、「浄土宗西山派の知多での総本山」とのお墨付きを得た大寺院である。かつては数多くの塔頭が建ち並んでいたが、今でも遣浄院など4つのお寺が残っている。
第8世の上人が家康の従兄弟だったこともあり、また、桶狭間の戦いや本能寺の変で逃避する折に当寺に立ち寄っていることなどから、今も徳川家とは深い縁をもつ。本堂前の賽銭箱にも、大きな三つ葉葵の紋所が刻まれている。

私の父の菩提寺でもあり、子供のころからお盆やお彼岸にお参りをした。伽藍は大正13年に火災に遭い焼失したが、当時のこととて木造で再建されている。本堂の丸柱は太いケヤキで、重厚な雰囲気を醸し出している。夏でもとにかく涼しいのである。
山門も昭和62年(1987)に再建された。仁王門であり、向かって左に廣目天、右に増長天が厳めしい顔で身構えている。足の下には「邪鬼」が踏んづけられている。「邪鬼」とはたたりをする悪神、妖怪のことである。哀れでもあり、ユーモラスな姿でもある。


第8世の上人が家康の従兄弟だったこともあり、また、桶狭間の戦いや本能寺の変で逃避する折に当寺に立ち寄っていることなどから、今も徳川家とは深い縁をもつ。本堂前の賽銭箱にも、大きな三つ葉葵の紋所が刻まれている。

私の父の菩提寺でもあり、子供のころからお盆やお彼岸にお参りをした。伽藍は大正13年に火災に遭い焼失したが、当時のこととて木造で再建されている。本堂の丸柱は太いケヤキで、重厚な雰囲気を醸し出している。夏でもとにかく涼しいのである。
山門も昭和62年(1987)に再建された。仁王門であり、向かって左に廣目天、右に増長天が厳めしい顔で身構えている。足の下には「邪鬼」が踏んづけられている。「邪鬼」とはたたりをする悪神、妖怪のことである。哀れでもあり、ユーモラスな姿でもある。


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