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東山荘
山崎川は、平和公園の猫ヶ洞池に端を発し、瑞穂運動場の真中を貫いて南に流れている。運動場の1kmほど北には「壇渓」と呼ぶ景勝地があった。山崎川は、御器所台地と八事丘陵の間を流れるが、東岸の八事の方は小高い山地になっていて、この一帯は緑豊かな土地柄であったのだろう。
運動場と壇渓の中ほどに「東山荘(とうざんそう)」がある。航空写真で見ると、先ほど述べた丘陵の緑が、ここだけに未だに残っているのである。東山荘は、綿布商の伊東信一氏によって造営された別荘である。大正時代初期から10年ほどもかけて、丹念に造られた建築と庭園である。

氏が亡くなった後は遺言により名古屋市に寄付され、公園として一般公開された。戦時中の一時期は市長公舎として使用されたが、現在は開放されている。仰西庵などお茶室2・書院造りの和室3・洋室が2つあり、貸部屋としてお茶会や読書会に使用されている。
庭園は、山崎川への斜面や自然林を巧みに利用した「池泉回遊式」である。豪壮な滝石組や書院前の石庭があると言うが、この日は見ることができなかった。自然林の中にも、飛び石や石橋などを使った園路があるけれど、手があまり入っていないので荒れた印象である。惜しいことだと思う。

運動場と壇渓の中ほどに「東山荘(とうざんそう)」がある。航空写真で見ると、先ほど述べた丘陵の緑が、ここだけに未だに残っているのである。東山荘は、綿布商の伊東信一氏によって造営された別荘である。大正時代初期から10年ほどもかけて、丹念に造られた建築と庭園である。

氏が亡くなった後は遺言により名古屋市に寄付され、公園として一般公開された。戦時中の一時期は市長公舎として使用されたが、現在は開放されている。仰西庵などお茶室2・書院造りの和室3・洋室が2つあり、貸部屋としてお茶会や読書会に使用されている。
庭園は、山崎川への斜面や自然林を巧みに利用した「池泉回遊式」である。豪壮な滝石組や書院前の石庭があると言うが、この日は見ることができなかった。自然林の中にも、飛び石や石橋などを使った園路があるけれど、手があまり入っていないので荒れた印象である。惜しいことだと思う。

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