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松の傷痕
先日(8月8日)、中日新聞夕刊「写記・名古屋城~~戦火の記憶~~」の欄に松の木の幹の写真が大きく掲載されていた。「戦時中に燃料にするため、松やにを採取した跡」との説明がある。名古屋城内に残る戦争の傷痕である。
市役所本庁舎北側のクロマツの街路樹にも大きな傷跡が残っている。この傷はさらに大きく、木肌の部分には「ウルシ掻き」と同じような斜めの切り傷も見ることができる。傷痕は車道側にあるので、歩道を歩く人には気付きにくいかも知れない。

私が街路樹の担当だった35年ほど前には、強風等による折損・倒壊を防ぐために太い鉄線で保護されていた。現在の様子を見ると、傷痕の周りの樹皮部分のカルスが肥大し、強度も上がっているように見える。樹木自身が78年の間に補強を遂げたのである。
戦時中に、松の根から採れる「松根油」や幹を傷つけて採取する「松脂」を戦闘機の燃料にしようと考えたのだが、結果はあまりうまくいかなかったようである。出雲に旅行した時に、大社の前の並木や日御碕の赤松林でも同じ光景を見た。全国的に指令が出たのであろう。

市役所本庁舎北側のクロマツの街路樹にも大きな傷跡が残っている。この傷はさらに大きく、木肌の部分には「ウルシ掻き」と同じような斜めの切り傷も見ることができる。傷痕は車道側にあるので、歩道を歩く人には気付きにくいかも知れない。

私が街路樹の担当だった35年ほど前には、強風等による折損・倒壊を防ぐために太い鉄線で保護されていた。現在の様子を見ると、傷痕の周りの樹皮部分のカルスが肥大し、強度も上がっているように見える。樹木自身が78年の間に補強を遂げたのである。
戦時中に、松の根から採れる「松根油」や幹を傷つけて採取する「松脂」を戦闘機の燃料にしようと考えたのだが、結果はあまりうまくいかなかったようである。出雲に旅行した時に、大社の前の並木や日御碕の赤松林でも同じ光景を見た。全国的に指令が出たのであろう。

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