Entries

天白川の橋 その4

 この地域の大動脈 「名四国道」 は、平面道路の橋を両側から挟むように、上下線が分離して架けられていて、3本の橋が重なっている。ここから上流を眺めると、川の中ほどに流れを分離するような中堤が見える。これは、この地点で合流する扇川を分流するための堤防である。
 この両川を跨ぐように、歩道橋が架けられている。青く塗られた2連のアーチ橋で、「大星橋」 という。石の親柱の左側に 「大星橋」、右側に 「天白川・扇川」 と記してある。

大星橋B

 扇川は、緑区藤塚の大池から発してこの地点まで、約10kmを流れる二級河川である。水源の大池は公園と一体となり、上流部の両側は緑道として桜並木の散歩道になっている。植栽後30年ほど過ぎたソメイヨシノはすくすくと育ち、今では新しい桜の名所になりつつある。
 少し戻って、須佐之男神社の隣に 「源兵衛公園」 という街区公園がある。この公園の砂場に、ブルーのシートがかけられている。これは、犬や猫の排便が砂の上で行なわれて、砂が汚染されるのを防ぐ目的で設置されたものという。砂場の外周を柵で囲う方法や、定期的な砂の清掃などが比較検討された結果、最も有効な方法と考えられている。

大星橋C

天白川の橋 その3

 名鉄常滑線は、現在では中部国際空港セントレアへ送迎する 「特急ミュースカイ」 が走る路線としても知られている。柴田駅のすぐ南に、天白川を跨ぐ鉄橋 「天白川橋梁」 が架かっている。青く塗られたトラス橋に、「天白川橋りょう」 と白ペンキで書かれている。道路に架かる橋の名称は 「○○橋」 というのに対して、鉄道の橋は 「○○橋梁」 と呼ぶようである。
 白ペンキの文字の下に、厚いプレートが熔接されている。建設時に記録として取り付けられたもので、名古屋鉄道株式会社・1962・支間48.00などの文字を見ることができる。建設を担当した宮地(?)工業や使用した材料についての記載もあった。

名鉄 天白川1

 常滑線と並んで架かる国道247号線の橋は 「千鳥橋」 という。そこから名四国道までの間の右岸 (川の上流から見たときの右側) に 「須佐之男神社」 がある。「須佐之男尊」 は神話に登場するイザナギ尊・イザナミ尊の子供で、天照大神の弟に当たる人物である。出雲の国で八岐大蛇 (やまたのおろち) を退治した英雄でもあるが、田や畑を荒らした凶暴な神としても知られている。
 この神社の鳥居の近くに大きな公孫樹 (イチョウ) の木が聳えている。根元に “むらの児とひねもす遊びしこの宮の巨 (おお) き公孫樹は神さびてたつ” との歌が掲げられていた。イチョウは、老木になると樹皮が気根のように垂れ下がる。これは 「イチョウの乳」 とよばれているが、まだ、植物学的な意味は明らかになっていない。

名鉄 天白川2

天白川の橋 その2

 伊勢湾岸道路には、北から、新しく開通した名古屋高速道路四号線・東海線が東海ジャンクションで合流する。この高架道路は、県道55号線の上部を走っており、天白川を跨ぐ橋梁は2本が重なるように架かっている。県道に架かる橋は、「天白大橋」と呼ぶ。

天白川9

 天白川下流域、国道1号線あたりまでを地図で見てみよう。西から名高速4号東海線と県道55号線が重なって走っており、その隣に臨海鉄道南港線が通っている。少し離れて名鉄常滑線の鉄橋が架かり、並行して国道247号線が走っている。さらに上流には名四国道、JR東海道本線および新幹線、国道1号へと続いていく。とにかく、名古屋の主要幹線の多くが天白川を渡っているのである。

天白川下流マップ

 名古屋臨海鉄道南港線は、港区の東港駅から知多市の知多駅までの11.3kmを走る貨物専用の鉄道である。トラック輸送がまだ活発になる前の昭和44年(1969)に開通した。工場への引込み線も多く敷設されたが、現在は化学薬品や石灰石の運搬など1日数往復が運行しているにすぎない。天白川の鉄橋でしばらく時間を過ごしたが、列車を見ることはできなかった。

天白川8


天白川の橋 その1(変更)

 天白川は、日進市の米野木あたりから流れ出して名古屋市東部を縦断した後、西に向きを変えて名古屋港へと注いでいく。河口では、名古屋港ワイルドフラワーガーデン 「ブルーボネット」 のある潮見埠頭にぶつかって左折し、伊勢湾岸道路の 「名港東大橋」 の下をくぐって伊勢湾へと流れていく。全長22.7kmの二級河川である。
 東大橋は 「名港トリトン」 の一つで、今年3月12日のブログで紹介した。そのときは、高速道路を走りながら(助手席から)の撮影であったが、今回は下から見上げての撮影である。斜張橋の斜めのワイヤーが美しい構造美を見せている。

天白川5

 潮見埠頭は、9号地とも呼ばれる埋立地で、石油産業などの危険物を扱う工場が集積している。面積210haのうち、約5分の1の43haは中部電力の 「新名古屋火力発電所」 である。その北端にある 「ブルーボネット」 は、もともとは工場立地法により義務付けられた緑地の一部である。中電は、この緑地を単なる樹林でなく、市民サービス施設として捉え、四季折々に楽しめる 「花飾りの庭園」 として整備したのである。
 ブルーボネットは、面積約2haとあまり広くはないけれど、中央に小川の流れる 「花の谷」 を始め、有名造園家などのデザインによる22のガーデンに分かれていて、個性的な花壇を鑑賞することができる。ガーデン埠頭からの水上バスや金山、新瑞橋からの市バスによっても行くことができるが、車なら潮見橋を渡ったり、伊勢湾岸道路潮見インターからでも便利である。
 私事ですが、名古屋市退職後5年間、このガーデンで園長を務めさせていただいた。

天白川6ブル

天白川の橋 その1

 天白川は、日進市の米野木あたりから流れ出し名古屋市東部を縦断した後、西に向きを変えて名古屋港へと注いでいく。河口では、名古屋港ワイルドフラワーガーデン 「ブルーボネット」 のある潮見埠頭にぶつかって左折し、伊勢湾岸道路の 「名港東大橋」 の下をくぐって伊勢湾へと流れていく。全長22.7kmの二級河川である。東大橋は 「名港トリトン」 の一つで、今年3月12日のブログで紹介した。
 伊勢湾岸道路には、北から、新しく開通した名古屋高速道路四号線・東海線が東海ジャンクションで合流する。この高架道路は、県道55号線の上部を走っており、天白川を跨ぐ橋梁は2本が重なるように架かっている。県道に架かる橋は、「天白大橋」と呼ぶ。

天白川D

 この辺りでは、国道247号線に沿って、名鉄常滑線が走っている。ここでも道路橋 「千鳥橋」 に並行して名鉄の鉄橋が架かっている。柴田駅から300mほど南である。常滑線は神宮前駅から常滑駅まで約30km、大正元年 (1912) に開通した。現在は常滑駅の先に、空港線がつながっており、中部国際空港までミュースカイが走っている。

天白川F



蒲郡の竹島橋

 三河湾の蒲郡沖に、小さな島が浮かんでいる。竹島と呼び、周囲680m、面積約2haの花崗岩でできた島である。標高は22mだが、背の高い樹林に包まれているので、さらに高くこんもりとした森に見える。その植生は常緑の広葉樹であり、内陸の落葉樹の森とはまったく景観を異にしている。わずか2haの樹林に、カゴノキやサカキカズラなど65科238種類もの植物が自生していて、学術的にも貴重なことから国の天然記念物に指定されている。
 島の中ほどに八百富神社が鎮座している。島全体が神社の境内であり、森厳を守るために森が保護されてきた。創立は古く、安徳元年 (1181) という。古来より 「竹島弁天」 と称して、日本七弁天のひとつに数えられている。領主松平家の崇敬は厚く、徳川家康の参拝も受けている。

竹島橋マップ

 陸地近くに島があると波が分かれた後ぶつかり合うので、島との間に浅瀬ができて引き潮時には陸地が見える。フランス北岸のモンサンミッシェルや我が国でも江ノ島などにその地形を見ることができる。この浅瀬に昭和7年、個人の寄進により初めての橋が架けられた。長さ約400m、「竹島橋」 と呼ぶ。現在のものは2代目で、昭和61年に架け替えられたものである。
 島の高台から見ると、対岸に三河山系の山々が遠望できる。手前の丘陵に建つのは蒲郡クラシックホテルである。アールデコ様式の瀟洒な建物で、日の出の絶景ポイントとしても有名である。大正から昭和にかけては「常盤館」と呼ぶ料理旅館で、有名な文人たちの利用も多く、小説の舞台にもなった。

竹島橋A

次のシリーズは「橋」

 平成27年4月から続けてきた 「旧東海道」 のシリーズも 「関宿」 で一段落しましたので、これからどちらの方向へ進もうかと迷いました。「中山道」 とか 「鎌倉街道」 とかいろいろ考えましたが、街道シリーズはまたの機会として、次は 「橋」 のシリーズにします。これまでに35か所の橋を紹介してきました。今後も個性的で、人々に親しまれている橋を探し歩きます。乞うご期待!!

橋シリーズ1
橋シリーズ2

京都南禅寺の水路閣(水路橋)

 洛東の南禅寺境内に、周辺の寺院景観とは異質の構造物がある。煉瓦造りの近代建造物で、アーチ構造が印象的である。これは、琵琶湖からの疎水を通す水路橋で、「南禅寺・水路閣」 と呼ばれている。明治の初め、東京遷都により活力を失いつつあった京都を元気付けようと府知事が企画した琵琶湖疎水の一部である。琵琶湖の水を京都に引いて、新しい産業を興そうとの狙いであった。
 ちょうどその頃、工科大学校 (現東京大学工学部) の学生・田辺朔郎が書いた卒業論文が知事の目に留まり、その 「琵琶湖疎水工事の計画」 が実現する運びとなったのである。第一期工事は琵琶湖から山崎、東山を通って鴨川まで、明治18年に着工して明治23年に竣工している。田辺は卒業後、主任技師となって工事の指揮を執った。

疎水橋マップ

 南禅寺は、鎌倉時代に京都五山に列せられるほどの名刹である。石川五右衛門が “絶景かな!” と謳ったことでも有名な三門を抜けると、法堂に向うまでの左右に多くの塔頭がある。五右衛門が褒めたように境内は豊なみどりに包まれ、特に秋の紅葉は見事である。この静寂な環境に西洋建造物を建設することには、かなりの議論があったことと思われる。
 しかし、今その前に立ってみると、思いがけずしっくりと調和した雰囲気を感ずることができる。多くの観光客も、この不統一の調和を違和感なく楽しんでいるように見える。ローマの水道橋を模したデザインで、煉瓦と花崗岩を材料としアーチをふんだんに取り入れた橋脚である。設計は田辺朔郎本人が行なった。現在は国の史蹟に指定されている。

疎水橋C

京都嵯峨野の渡月橋

 京の北西から流れ込み、都の西端を南下して鴨川と合流する桂川、さらに下流で東から流れてきた宇治川と合わさって淀川となり、大阪湾に注いでいく。京都への入口付近、山陰本線嵯峨野線の終点 「嵯峨嵐山駅」 で降りると、紅葉の名所 「渡月橋」 が間近である。
 その先はトロッコに乗り換えて保津峡まで行くことができる。橋の手前には竹林や天竜寺、落柿舎などがあり、橋を渡ると苔寺や鈴虫寺などがあって、観光名所の枚挙に暇がない。駅でレンタサイクルを借りて名所めぐりをした。駐車場探しに苦労することもなく、もちろん歩くよりも効率的にお寺や庭園を観ることができる。

嵐山マップ

 「渡月橋」 は古く、最初に架けられたのは承和年間 (834~848) である。亀山上皇が月を眺めて “くまなき月の渡るに似る” との感想を述べたことに因んで命名されたとのこと。現在の橋は昭和9年のもので、橋脚と桁は鉄筋コンクリート製、欄干は景観と雰囲気を考慮して木造である。長さ155m、幅員は11mで2車線の車道と両側に歩道がある。
 中洲 (中ノ島) の奥には、屋形舟の船着場がある。ここの舟遊びは後醍醐天皇の時代から続いていて、平安貴族と同じ楽しみを今も味わうことができる。7月から9月にかけては鵜飼も見られるという。渡月橋のすぐ上流に、川幅いっぱいに広がった堰があり、その上流を大堰川と呼ぶ。

嵐山B

紀伊長島の昇降式可動橋とループ橋

 三重県南部のこの地域はいわゆるリアス式海岸で、熊野灘に面して入り組んだ海岸線を見せている。紀伊長島は、深い入り江を利用した漁港として栄える町である。元々は北牟婁郡 (きたむろぐん) 紀伊長島町であったが、平成の大合併により今は紀北町の紀伊長島区に変っている。かつては小型貨物船や遠洋漁業の船をつくる造船所の町でもあった。
 江ノ浦湾の沿岸には漁師の家々が建ち並び、魚市が開かれ、また干物の店が軒を連ねている。この入り江を跨ぐのに、2本のユニークな橋が架かっている。奥の橋を 「江ノ浦橋」 という。湾奥の造船ドッグへの大型船航行のため、昇降式可動橋になっている。橋の長さは約85mで、その内の真ん中部分30mが可動する。橋の上に管理棟があり、通過を希望する船から声をかけると、管理人がスイッチを押すとのこと。なんとものどかな風景である。日に30~50回の利用があるという。新しい大橋が出来上がった時点で役割を終え撤去する方針であったが、地元の希望により歩行者・二輪車用の橋として命を長らえている。

ループ橋マップ

 「江ノ浦橋」 から少し離れた外海側に、新しい 「江ノ浦大橋」 がある。こちらは、やはり大型船航行のため、水面からかなり高いところに架けられている。そこから狭い岬へ橋を下ろすために、ループという方式を採用した。車は円を描いて橋の上から降りるのである。空から見ると、「α」 の形をしているので、「アルファ大橋」 との愛称もある。
 紀勢自動車道が南へと延伸を続けており、数年前に紀伊長島インターチェンジができたことにより、観光客などが増えている。美しい砂浜を使った海水浴場や魚釣りのできる突堤、世界遺産の熊野古道やまだ新しい古里温泉などの観光資源も豊富である。新鮮な魚介類も目玉のひとつである。

ループ橋B

伊勢湾岸道路「名港トリトン」

 伊勢湾岸道路を西に向かい名古屋港に差し掛かると、ローマ字の 「A」 の形をした橋が見えてくる。これは、東海市から名古屋市の潮見埠頭へと渡り、さらに金城埠頭、飛島村へと渡る3本の橋梁で、全体が 「トリトン」 という愛称で呼ばれている。形式は全て3径間斜張橋で、ケーブルを支える2本づつの柱が見えているのである。
 最初の 「東大橋」 は全長700m、青色に塗られている。真ん中の 「中央大橋」 は最も長大で1170m、白色である。「西大橋」 だけは東西の車線が別々のため、赤い4本の柱で構成されており、長さは758mである。3本をあわせると、2628mもの長い橋である。

トリトン マップ

 柱の高さが最も高いのは中央大橋で195mもあり、名古屋のテレビ等 (180m) よりも高い。大型船に必要な海面からの高さも中央大橋が最大で、満潮時の最高潮位から47mである。軟弱地盤の上での建設だったため、なるべく重量を軽減するような設計になっている。橋桁は耐風安全のため薄型扁平な六角形であり、伊勢湾台風級の強風や予測される大地震・津波にも耐えられるような強度を備えている。
 国内外から入港する船舶のゲートであり、高速道路のシンボルでもあることから、美しい3色 (トリコロル) に塗られており、夜間は、季節ごとに色を変えるライトアップが行なわれている。
 4枚の写真は走る車の中から撮影したが、進むにしたがって姿が変わるのも魅力のひとつである。

トリトンG

お江戸日本橋

 「箱根八里」 に続いて、また、歌から始めます。
♪♪お江戸日本橋 七ツ立ち 初のぼり 行列そろえて あれわいさのさ コチャ高輪夜明けて 提灯消す(コチャエー コチャエー)♪♪・・・作者不詳の民謡だそうです。江戸から京へ上る大名行列に、初めて加わる若侍の心境を歌ったのでしょうか? “あれわいさのさ” も、合いの手の“コチャエー コチャエー”も意味不明ですが、雰囲気は分かります。
 前にも何度か通ったことがありますが、改めてカメラを持って渡ってみました。まず目につくのは、橋の上を蓋い尽す高速道路と汚れた川の水です。東京オリンピックの前に慌ててつくったものと思われます。歌川広重の浮世絵では、上流に江戸城が、さらに遠景には富士山まで見えるような明るい景色が描かれています。西への旅の出発点「日本橋」は、このような夢のある場所だったのでしょう。

日本橋A

 日本橋が始めて架けられたのは、家康が幕府を開いた慶長8年 (1603) と伝えられています。江戸幕府が定めた五街道の起点として交通の重要な場所であり、近くに魚河岸もあるなど江戸経済の中心地でもありました。
 現在の日本橋が架けられたのは明治44年、石造り二連のアーチ橋です。橋銘は最後の将軍徳川慶喜の筆になるそうです。親柱に乗る青銅の「獅子」は東京の守護を、中間地点に立つ照明灯装飾の「麒麟」は東京の繁栄を表現しているといいます。橋全体が国の重要文化財に指定されています。

日本橋マップ

箱根西麓・三島大吊橋

 旧東海道・静岡方面の最終取材のため、三島から箱根へ向かう路線バスに乗った。途中で、日本最長の大吊橋があるというので下車してみた。三島駅から少し山地を登ったあたりは、富士見ヶ丘と呼ぶように富士山を眺める絶好の場所である。にもかかわらず、特に名所がなかったので、地域活性化に貢献したいと、この橋の計画を進めたという。愛称は 「三島スカイウォーク」 と呼ぶ。
 完成したのは平成27年12月、まだできたばかりの新名所をいち早く体験することができた。歩道幅は1.6mあり、車椅子でもすれちがうことのできる設計である。全長400mは、歩行者専用の吊橋としては日本一だという。谷底からの高さが70mというのもスリル満点だが、何といっても、あらゆる場面で見事な富士山を眺望できるのが魅力である。この日は、真っ青な空の下、白い雪をかぶった美しい姿を撮影することができた。

三島大吊橋マップ

 吊橋のワイヤーを引っ張る塔の高さは44m、これまた真っ白に塗装されていて、濃紺色の空に映えている。延長400mのちょうど中間点では太いワイヤーを触ることができる。橋脚の近くに、屋外エスカレーターがあり、それを昇ると 「スカイガーデン」 というガラス張りの休憩所がある。農業と観光とを結びつける意図をもって整備され、地域の特産品などを販売している。天井からは、ベゴニアやペチュニアの大きなハンギングバスケットが吊るされていた。

三島大吊橋B

土木工事(三遠南信自動車道「イタチ川大橋」)

 長野県飯田市で行なわれている 「イタチ川大橋」 の工事現場を見学させていただいた。三遠南信自動車道というのは、愛知県三河、静岡県浜松 (遠州) と長野県飯田 (南信州) を結ぶことからの命名である。現在、南からは鳳来峡ICまで、北からは天竜峡ICまで開通しており、それぞれ、その先が工事中となっている。
 飯田では、天竜川を跨ぐ橋と、もう少し山へ入った 「イタチ川」 に架かる橋を整備中である。「イタチ川大橋」 は、一本の橋脚の両側へ片持ち梁を伸ばす 「Tラーメン橋」 という構造である。現在下部工は完成し、梁の左右バランスを取りながら延伸しているところであった。橋脚の高さは約75m、箱桁の長さは206mである。コンクリートの総量は、約2500㎥にもおよぶという。この形式の橋としては全国2番目の長さであると、国道事務所監督官の方から説明していただいた。

イタチ橋A

 作業用のエレベーターに載せていただいて、橋の上に登ることができた。工事用の資材が整然と置かれており、横断幕には安全を喚起するため 「指差呼称で危険ゼロ」 と記してある。高所での作業による転落などの危険も多く、安全に対する厳しい姿勢が伝わってくる。
 橋の上からの景色が素晴らしい。手前の山から天竜川沿いの町や田園を越えて、ピラミッド型の風越山 (飯田の人たちは親しみを込めて 「権現山」 と呼ぶ) や中央アルプスの峰々が見える。道路が完成すれば、春の新緑や秋の紅葉が楽しめるドライブコースになるものと思われる。

イタチ橋マップ

沼津市の御成橋

 沼津市を流れる狩野川の下流部、県道139号線が渡る橋を 「御成橋 (おなりばし) 」 という。沼津御用邸に向かう皇族がお通りになることから名付けられた。橋長130m、幅員15.6m、「下路バランス・ソリッド・リブタイドアーチ橋」 という長い名前の型式である。
 狩野川に初めて橋が架けられたのは明治9年のこと。木製の橋で、沼津港に近いことから 「湊橋」と命名された。その後、明治45年に初の鉄橋が架けられた。初代「御成橋」である。現在の橋は、鉄橋としては2代目で、昭和12年に架け替えられた。

御成橋マップ

 橋の中ほどの部材に、強い力で押されたような窪みがある。すぐ上の説明板には 「空襲跡」 とある。昭和20年4月11日、橋の西北端に落ちた爆弾により、橋の欄干が10m以上も吹き飛ばされたという。鉄板の窪みはそのときの傷跡で、“戦争の惨禍を後世に伝えるために” そのままにしてあるのだと記されている。

御成橋C

伊勢神宮 宇治橋

                                            ≪2014・03・12の再掲≫
 20年に一度の式年遷宮を平成26年秋に終えた伊勢神宮には、例年にも増して多くの参詣者が訪れている。内宮 (ないくう) をお参りするときに、最初に渡るのが五十鈴川に架かる 「宇治橋」 である。長さ101.8m、幅8.42m、総ヒノキ造り純和風の橋である。丸い欄干の上には、16基の銅製の擬宝珠が付く。橋脚は三本立て13組、合計39本のケヤキ丸太である。

宇治橋B

 宇治橋も20年ごとに架け替えられる (造替という) 。今回は、平成25年の社殿遷宮に先立って、平成21年に渡始式が行われた。社殿のための御用材も、大径木のヒノキ丸太の入手が困難になっているが、橋脚のケヤキはそれ以上に見つけるのが難しいという。宇治橋を渡る前に大きな鳥居をくぐる。ここは俗界と聖界の境であり、身も心も清浄な雰囲気に包まれる。この鳥居は、外宮古殿の棟持柱が再利用されたものである。同じように渡り切ったところの鳥居は、内宮古殿の棟持柱が使われている。

宇治橋マップ

 今日と明日、主要国首脳会議 (サミット) が伊勢志摩で開催される。中部国際空港に降り立った首脳たちは伊勢市に集まり、会議に先立って内宮の参拝を行った。内宮の入り口広場から順番に宇治橋を渡る各国の大統領や首相たちの姿がテレビに大きく映し出されていた。真っ直ぐ前を見て歩く人もあれば、五十鈴川の清流や照葉樹の森を眺めながら歩く方もある。西洋の人たちの目には、日本本来の自然や日本文化の粋ともいえる伊勢神宮がどのように映ったのであろう。

大井川橋梁

 県道381号に架かる大井川橋の少し下流に、2本の鉄橋が並んでいる。「大井川橋梁」 と呼ぶJR東海道本線の橋である。金谷から島田へ向かう上り線は、昭和34年 (1959) に完成した。橋長1062mの曲弦トラスで橋脚は鉄筋コンクリートづくりである。真正面に富士山を見ることができる。
 下り線は、ずっと古く大正4年 (1915) に完成している。橋脚は煉瓦づくりで、明治21年 (1888) に造られたものを鋼板で補強して再利用している。両橋は、見た目にはほとんど同じであることから、昭和の工事では従前のものに合わせたのであろう。

大井川橋梁マップ

 明治の始めごろの東西を結ぶ鉄道は、明治5年の新橋・横浜間を走る我が国最初の鉄道と、明治10年の京都・神戸間ができたが、その間のルートは中山道案と東海道案の2つがあった。明治16年には中山道案に決定し、同19年に武豊と木曽川駅を結ぶ資材輸送用の鉄道ができた。
 しかし、中山道のルートは工事の難航が予測され、工期も大幅に遅れることから、この年に東海道ルートに変更された。国鉄東海道線の全線が開通したのは明治22年 (1889) のことである。この経緯からみると、大井川橋梁下り線の橋脚は、このときにできたものであろう。
  (写真左の上り線は昭和34年のRC製 右の下り線は明治21年の煉瓦づくりの橋脚である)

大井川橋梁E


大井川橋

 県道381号島田岡部線 (旧国道1号) に架かる橋である。橋長1026m、幅員8.3m、17連のトラス橋で、完成したのは昭和3年 (1928) のことである。トロッコでコンクリートなどの資材を運搬する時代であり、橋脚を建設するのは大変に難工事であったという。
 江戸時代において大井川に橋が架かっていなかったのは、江戸防衛のためでもあったが、この川の自然条件が悪いことも理由であった。すなわち、洪水時の水流が速く、川底に砂礫が多いので、橋脚や橋本体が壊されてしまうのである。実際、明治9年(1875)に建設された木造の仮設橋や明治16年建設の本橋も流失の憂き目に遭っている。

大井川橋マップ

 下の写真左は「大井川橋」、右は「天竜川橋」(本ブログ2015・11・28掲載)である。いずれも、走る車の中から撮影した。同じような青色のペンキで塗装されているので、前にも渡ったのではないかと錯覚してしまうが、よく見ると橋桁の構造が異なっていることが分かる。大井川はトラス (三角構造)、天竜川の方は、桁の傾斜が交互になっているワーレントラスという型式である。
 大井川橋は平成15年に、土木学会選奨の土木遺産に指定されている。

大井川橋A


安倍川橋

 丸子宿と現在の静岡市に当たる府中宿の間には、安倍川が横たわっている。明治になるまで、この川には橋が架けられていなかった。人足による川越が廃止されて渡し舟に代わったのは、明治4年 (1871) のことである。難儀する旅人を救おうと、明治7年に初めて橋が整備された。長さ280間 (約510m)、幅2間 (3.6m) の木橋で、「安水(あんすい)橋」と名付けられた。
 この橋が老朽化したため、架け替えが行なわれたのは明治36年のことである。今度も木橋であるが、桁は木鉄混合で 「ポニー・クィーンポスト・トラス」 という形式である。橋脚は、丸太を4本一組にした強靭な橋梁であった。

安倍川橋マップ

 現在の橋は、大正12年(1923)に架け替えられたものである。「ボーストリング・トラス」 という形式の鉄橋で、弓と弦のような形が14個連なっている。当時鉄鋼は輸入に頼っていて、鋼材には 「DORMAN LONG Co」 と英国鉄鋼メーカーの名が刻まれている。
 西側からは富士山が間近に見え、絵のような景色になっている。東側の橋のたもとには、静岡名物 「安倍川もち」 の老舗があった。この橋は、平成17年に土木学会選奨の土木遺産に選定された。

安倍川橋D

天竜川橋

 県道261号線「磐田細江線」は、かつての国道1号線である。明治9年に架けられた木橋 「天竜橋」 が老朽化し、鉄橋 「天竜川橋」 に架け替えられたのは昭和8年 (1933) のことである。橋長約920m、幅員7.3m、14連のワーレントラスト橋である。この型式では、橋桁のトラス (三角構造) が交互になっている。
 現在では、その上流側の国道1号線に上り下り2本の 「新天竜川橋」 が架けられているが、下流からは、青く塗装されたトラス橋の美しい姿を見ることができる。橋台部分の取り付け護岸は、今も、建設当時のまま、石積み構造となっている。

天竜川橋3

 この橋は遠景も美しいが、橋を渡るときに見上げても美しい。トラスの斜めに組まれた構造材や天空を覆う部材はもちろんのこと、細部の構造に至るまで全て三角形で構成されている。また、最近使われることのなくなった、リベットの規則正しい配列もリズミカルな景観を呈している。

天竜川橋マップ

天竜川の舟橋跡

 江戸時代には江戸防衛のため、天竜川には橋が架けられておらず、東海道の往来は上流にある 「池田の渡し」 での渡舟によっていた。明治元年 (1868) の天皇御東幸の際には、小舟を並べ、その上に板を敷いた 「舟橋」 が架けられた。六所神社のすぐ南、現在水位計測所のあるところである。

天竜橋マップ

 その後、明治7年には、本流の舟橋と州に架けられた木橋からなる最初の橋が完成し、街道の往来は格段に便利になった。しかし、舟橋は洪水によって度々流されたので、明治9年に完全な木橋 「天竜橋」 に架け替えられた(下の写真・「中野町を考える会」による説明板より)。現地には、「舟橋跡」 と 「天竜川木橋跡」 と記された2本の木柱が立てられている。この木橋は、昭和8年に現在の鉄橋 「天竜川橋」 ができるまで使用されていた。

天竜橋A

澪つくし橋

 浜名湖の北東端、都田川の河口部に、赤い瀟洒な橋が架かっている。浜名湖サイクリングコースのシンボルとして昭和64年に造られた、当社設計による自転車専用橋である。幅員3m、橋長190m、両端は単純鋼箱桁、真中は鋼製のアーチ橋である。アーチから橋桁がワイヤーで吊られているので、その枠内は透けて見える。周辺は山の緑一色であるので、反対色である赤い色が景観にうまくマッチしている。

澪つくし橋A

 橋の名前は 「澪つくし橋」 という。澪 (みお) とは小舟の航路のことであり、標 (つくし) は航路を示す標識のことである。舟が浅瀬に乗り上げないように、深いところを知らせるために立てられた。都田川河口には、1300年前から大正時代まで立てられていたという。
 橋の親柱の上に、澪標の形を描いたモニュメントが飾られている。澪標は、「水の都」 と謳われた大坂に縁が深いことから、現在の大阪市の市章にその形が採り入れられている。

澪つくし橋マップ

浜名橋

 新居の関所跡を少し東へ歩くと、個性的な橋が架かっている。国道301号線 (旧東海道) が準用河川 「洲崎川」 を渡る橋である。橋梁そのものは、ポストテンション方式単純PCT桁橋であり、橋長25m・幅員13mという普通の橋であるが、親柱や欄干が独特のデザインになっている。
 この橋の位置が、JR東海道本線新居駅から特別史跡新居関跡へのルートになっていることから、歴史風景や観光客への配慮を求められたのである。4本の親柱は常夜灯をモチーフにし、高覧は木製の柵 (実際はアルミ製で吹付け塗装) をイメージしている。また、歩道の路面は、疑石タイルで石畳を表現している。 浜松市の指導のもと、当社中部復建㈱が設計した。

浜名橋

 川の水は、海に近いこともあって、あまり流れは感じられない。むしろ、干潮や満潮による動きの方が大きいものと思われる。橋の下流あたりは漁港となっていて、船外機をつけた小型の漁船が繋留されていた。

浜名橋マップ

豊橋市「前田橋歩道橋」

 豊橋市の中心街、駅前大通を東へ約1km行き、左へ折れて600mほど歩くと豊橋公園に至る。公園内には吉田城跡、各種スポーツ施設や美術博物館があり隣接して市役所もある。すなわち豊橋市の政治・文化の中心地である。
 このルートは 「豊橋シンボルロード」 と呼ばれている。前田橋歩道橋はこの道の曲がり角・牟呂用水との交差点に設置された。交通量の多い変則5差路である。交通島と東側・北側の歩道へ渡る3本のデッキと斜路から構成されている。歩道橋の中央に4本の柱からなるモニュメントが聳えている。周辺のビル群に負けない高さ30mのタワーである。4本の柱は、「豊橋市民」 とそれを支える 「農業」・「工業」・「商業」 を表現しているという。個性的な姿は、まさにランドマークの役割を果たしている。平成5年に、当社中部復建が設計をさせていただいた。

前田橋歩道橋マップ

 今年4月から歩き始めた東海道も、尾張・三河を過ぎ、いよいよ静岡県の遠江・駿河へと進んでいきます。静岡県は、西の 「白須賀宿」 から東の 「三嶋宿」 まで22の宿場町があり、東海道53次の約4割を占めるという多さです。
 今はお盆、毎日の気温は35度を越える真夏日が続いています。この暑さの中、街道を歩くのは少々きついので、少し暑さが和らいでから再開したいと思います。どうぞご期待ください。

前田橋歩道橋A

高隆寺大橋

 岡崎市の東部、岡崎中央総合公園と東公園を結ぶ道路、岡崎市民病院近くにこの橋はある。橋の上を走っていると、御影石一枚板の橋名板やコブシの植栽、パンチングプレートの高欄など景観に配慮した橋だと思われるが、橋の下から眺めるとさらに個性と美しさを求めていることがわかる。

高隆寺大橋

 橋長170mの鋼床版箱型ラーメン橋である。橋脚は2本あるが、そのうちの1本が非常にユニークな形をしている。Y字型をした鋼橋脚から長短2本の枝が橋軸方向へ斜めに伸び、橋を支えているのである。この構造は、世界でも例のない新形式であるという。2つの公園や市民病院に近いこの橋を、優れたデザインにしたいと思う市当局と、当社(中部復建)の技術陣とが協働した成果である。平成6年3月に完成した。

高隆寺大橋マップ

犬山橋

 木曽川左岸の小山の頂に、別名 「白帝城」 と呼ばれる犬山城がそびえている。尾張徳川家の付家老・成瀬氏の居城である。犬山は、木曽山で伐採した材木流送の中継地であり、城下で定期的に交易市が開かれるなど繁栄する町であった。
 鵜沼への渡し舟が2か所あったが、岐阜県への往来は不便であった。長年望まれていた橋が架かったのは、大正14年 (1925) のこと、愛知県・岐阜県・名鉄3者の費用負担により犬山橋が建設されたのである。橋長223m、幅員16mのトラス橋である。

犬山橋A

 この橋は、名鉄電車と一般自動車との併用という珍しさで有名であった。狭い橋を電車と車がすれ違うので、速度制限をしたり交通整理員が置かれたりしていた。再び、道路専用の橋が人々の願いとなった。下流側に新しい橋ができたのは、平成12年 (2000) のこと。橋長253m、幅員25m、片側2車線の橋である。その結果、犬山橋は電車専用にすることができた。2つの橋を合わせてツインブリッジと呼ぶ。

犬山橋マップ

新城の「旧黄柳橋」

 かつて、吉田 (豊橋) を起点とし乗本を終点とする、水上運送華やかな時代があった。山村からは材木や薪炭、逆に信州へは塩や綿といった物資が 「羽根河岸」 を中継地として行き来したのである。明治13年 (1880) ごろ、運送馬車を通行可能にする県道の大改修が行われた。その別所街道にかけられたのが 「黄柳橋 (つげばし)」 で、初代は木造であった。
 大正8年 (1919) に、当時としては全国で一番長いコンクリート橋が完成する。アーチスパンは30mであるが、橋長は51.2mであるため、アーチと路面が離れることになる。そこで長い柱が必要となり、耐震性を考慮した井桁状の形態になったのだという。黎明期、大正の時代性色濃い、個性的な橋梁である。

黄柳橋B

 しかし近年の自動車交通事情では、3.6mという幅員はあまりにも狭く、平成6年に3代目の橋梁が下流側に架けられた。「旧黄柳橋」 は、大正時代の生き証人として永久に保存されることになり、現在は歩道橋として使われている。平成10年に国の登録文化財に指定された。

黄柳橋マップ

天竜峡の吊り橋

 天竜川は、長野県の諏訪湖を源流とし、静岡県の遠州灘にそそぐ延長213kmの大河である。上流は伊那谷という平 (たいら=盆地) をゆったりと流れているが、中ほどからは両側に山が迫り、突然 「峡谷」 の様相を呈する。その入り口が 「天竜峡」 であり、険しい崖や奇岩が古くから観光の名所になっている。
 JR飯田線の天竜峡駅から、1周2kmほどの遊歩道が整備されていて、その折り返し点に 吊り橋 「つつじ橋」 がある。ここからは、高さ70mの一枚岩 「龍角峯」 や 「天竜下り」 の舟を見ることができる。

天竜峡吊り橋B

 吊り橋の長さは80m、幅は1.5mほど、何人かで歩くと揺れが増幅して肝を冷やす。ときどきテレビのサスペンスドラマにも登場する。橋を渡りきった所に、こんこんと湧き出る泉がある。その岩場に自生のヤマユリが咲いていた。野生とは思えないほど見事な花で、何種類かの園芸品種の親になっている。長野県版レッドリストでは、準絶滅危惧種になっており、大切に保護したい植物である。

天竜峡吊り橋マップ

伊勢神宮 宇治橋

 20年に一度の式年遷宮を昨年秋に終えた伊勢神宮には、例年にも増して多くの参詣者が訪れている。内宮 (ないくう) をお参りするときに、最初に渡るのが五十鈴川に架かる 「宇治橋」 である。
 長さ101.8m、幅8.42m、総ヒノキ造り純和風の橋である。丸い欄干の上には、16基の銅製の擬宝珠が付く。橋脚は三本立て13組、合計39本のケヤキ丸太である。

宇治橋B

 宇治橋も20年ごとに架け替えられる (造替という) 。今回は、平成25年の社殿遷宮に先立って、平成21年に渡始式が行われた。社殿のための御用材も、大径木のヒノキ丸太の入手が困難になっているが、橋脚のケヤキはそれ以上に見つけるのが難しいという。
 宇治橋を渡る前に大きな鳥居をくぐる。ここは俗界と聖界の境であり、身も心も清浄な雰囲気に包まれる。この鳥居は、外宮古殿の棟持柱が再利用されたものである。同じように渡り切ったところの鳥居は、内宮古殿の棟持柱が使われている。

宇治橋マップ

旧揖斐川橋梁

 国鉄東海道線の岐阜・大垣間を建設するに当たり、揖斐川を渡るために架けられた鉄橋である。明治20年 (1887) に供用開始された。橋長325m、形式はピン結合構造をもつ200フィートの錬鉄製5連ダブルワーレントラストである。橋脚も、今では珍しい煉瓦積みである。

揖斐川橋梁B

 当時はまだ、日本の技術では設計できなかったので、来日していた英国人技師ポーナルに依頼した。鉄材も製作できなかったので英国P・C&アックスレトリー社から輸入したものである。

揖斐川橋梁A

 明治41年の複線化に伴い、下流に新しい橋梁が架けられたので、鉄道橋としては廃止された。現在は、人と自転車の専用橋として使用されている。我が国の鉄道建設初期に、高度な技術を駆使した橋梁であり、もともとの位置に現存する大変貴重なものとして、国の重要文化財に指定されている。

揖斐川橋梁マップ
▲ページトップ

Appendix

カレンダー

06 | 2018/07 | 08
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -

ブログを始めるに当って

 私ども「中部復建」は、戦後から一貫して土木施設の計画設計に携わってきました。地域の皆さんに、より身近に土木を感じて頂きたく先人が残してくれた土木遺産等を訪ね歩き≪中部の『土木文化』見てある記≫として、皆さんに紹介していきたいと思い、このブログを発信する事としました。  

コンパクト月別アーカイブ

最新記事

         

建設・補償コンサルタント

ランキングに参加しています!

プロフィール

FC2USER480348EQK

Author:FC2USER480348EQK
森 田 高 尚
昭和21年6月 半田市生まれ
平成12年 東山植物園長
平成17年 名古屋市緑地部長
平成19年 中電ブルーボネット園長
平成24年 中部復建技術顧問
技術士:(建設部門・環境部門)
公園管理運営士 
著書:「園長さんのガーデンライフ」
FC2ブログへようこそ!

最新トラックバック

        

検索フォーム

QRコード

QR
▲ページトップ