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八百津大橋

 国道21号から御嵩町井尻で枝別れし、加茂郡八百津町へ向かう道を 「井尻八百津線」 と呼ぶ。県道358号である。途中、丸山ダムとその下流一帯の 「蘇水峡」 の近くを通る。蘇水峡は岩壁により川幅が狭められる景勝の地で、春の桜や秋の紅葉の名所であり、木曽三川の三十六景に撰ばれている。
 この道路が木曽川と交差する地点に 「八百津大橋」 が架かっている。昭和50年に開通した。橋長356m、幅員は意外に狭く6mである。左右1車線であるが、中央のラインは引かれていない。形式は 「上部平行弦ワーレントラス」 という。

八百津大橋G

 毎年4月に行なわれる 「八百津まつり」 は、3つの巨大な山車が練り歩く 「けんか祭り」 で有名である。3台の山車を合わせると一艘の船の形になるのが特色である。元々舟運で栄えたこの地域の特徴を色濃く残したものと言われている。山車がこの橋を渡るときに、横から見える姿がまさに舟の形をしているという。
 大橋の下流に、1本のコンクリートの柱が見えている。これは、かつて架かっていた吊り橋の名残である。「錦織橋」 と呼ばれた吊り橋で、長さ148m、幅1.5であった。昭和58年9月29日にこの地を襲った豪雨により流されてしまい、この主塔だけが残ったのだという。

八百津大橋H

八百津橋

 八百津の町は、JRの中央線とも高山線からも離れていることもあって、これまで馴染みのない町だった。木曽川沿いの歴史的土木施設について調べていくと、八百津周辺にはいくつかの興味深い施設があることが分かり、訪ねてみることとした。
 木曽川はおおむね北から南へ向かって流れている認識であるが、このあたりでは、東から西へ向かって流れている。濃尾平野の地盤が、鈴鹿山脈の断層に向かって東高西低に傾いていることがその理由であろう。そういえば、庄内川も一旦西に向き、その後南に向かって流れていく。

八百津橋G

 八百津の町の中心地に 「八百津橋」 が架かっている。これは県道381号が、国道418号と繋がるための県道83号に架かる橋である。現在は、平成3年に完成した 「新八百津橋」 が使われている。構造は 「ニールセンローゼ橋」、延長160mで幅員は7.5m、銀色に塗装されている。橋面を支えるのがワイヤーであるので、遠くから見ると中抜けのアーチだけに見える。
 すぐ隣に赤いトラス橋 (ワーレントラス) がある。これは昭和29年に架けられた 「旧八百津橋」 で、現在は歩行者・自転車専用となっている。延長117m、幅員は4.5mと狭いので、近年の道路事情に合わなくなり、新橋の建設となったのである。

八百津マップ

チェスキー・クルムロフ その2

 チェスキー・クルムロフの美しさは、蛇行する清流や町を取巻く豊かなみどり、城や教会の優れた建築物群、赤瓦で統一された家々の佇まいなどによるものと思われる。しかし町を歩くとそれだけでなく、人々の暮らしの中にもその要因があるように感ずる。長い歴史の中では、意に反して美しからざる行為もあったろうと思われるが、人々は自分たちの美的感覚を磨き、誇りを守る強い意志をもち続けてきたものと想像できるのである。

チェスキーマップ

【上左】 川沿いのレストランは、水面に向かってベランダを突出し、涼しげな食事の場を提供している。手すりに架けられたゼラニウムのハンギングバスケットが印象的である。
【上右】 川の転落防止柵はとてもシンプルで、過度な構造を持たない。芝生や点々と植えられたバラも手入れが行き届いている。
【下左】 道路のペイブメントは小舗石貼りで、長年の使用によりツルツルに磨かれている。家の角は、馬車の衝突にも耐えられるように、石で補強してあった。
【下右】 子供たちも旅行者に対してフレンドリーで、通学の小学生たちがカメラに向かって表情を見せてくれた。

チェスキーJ

チェスキー・クルムロフ その1

 土岐川の大きな蛇行を地図に描いていて、前にもどこかで同じような地形の町へ行ったことを思い出した。東欧チェコの 「チェスキー・クルムロフ」 歴史地区である。オーストリアとの国境に近い南ボヘミア州の小さな町で、「世界一うつくしい町」 のひとつと謳われている。近年、観光地としても知られるようになり、日本からの訪問者も増えているという。
 町の形は下左の図 (現地の案内看板を撮影した) のように、北に流れる 「モルドウ川」 がほとんど短絡するかと思われるほどに蛇行し、その半島状の高台にお城が建てられている。この町と城は、1300年代にボヘミアの有力貴族の所有となり、水運を使った手工業の交易が盛んに行なわれて繁栄した。16世紀には、ルネサンス様式の建物が数多く建てられて今も残っている。一時期荒廃したこともあるが、1960年代の 「プラハの春」 以降徐々に修復され、1992年に世界遺産に登録されるに至った。

チェスキーG

 上右の写真は、町並みから見上げたお城の塔である。切り立った岩山の上に建っていて、市内のどの通りからも見ることができる。下左は、城郭の高台から川を挟んだ南側を見た写真である。美しい赤瓦に統一された家々の中心に、黒くて高い屋根と尖塔をもつ教会が見えている。
 下右は、川の流れをコントロールするための落差工である。モルドウ川は、オーストリアに端を発し、ボヘミア盆地の水を集めて北に向かい、プラハを越えてドイツにまで流れるチェコ最長の川である。このあたりは、まだ上流で森の中を流れているため、水は透明で美しい。因みにチェスキーとは 「ボヘミアの」 の意で、クルムロフは 「川の湾曲部」 という意味である。

チェスキーH

多治見の虎渓山・永保寺

 土岐川が大きくSの字に曲がる右岸、こんもりとした森の中に永保寺が佇んでいる。この地は、領主・土岐氏の山荘であり、鎌倉時代末期には泉石が構えられていたという。現在のような庭園が造られたのは、正和2年 (1313) 夢窓国師が入寺してからのことである。土岐氏の帰依を得て、この山荘を寺にしたのである。
 大きな池に太鼓橋 (無際橋) を架け、渡り切った北側に 「観音閣」 を建立した。太鼓橋の真ん中には、桧皮葺の屋根をもつ 「亭」 があり、庭園の眺めを引き締めている。観音閣は正和3年建設のまま残されており、現在は国宝に指定されている。桧皮葺屋根の4隅の先端が大きく反り返っており、中国の寺院の特色をもっている。

永保寺マップ

 観音閣の西側には、小山のような大きな岩があり、「梵音巌」 と名付けられている。岩山の頂上には、「霊擁」 と呼ぶ六角形の小堂が建てられていて、その横から細流れが滝のように落ちている。円錐形の岩山は、そっくりそのままに池に姿を映しており、小さいけれど逆さ富士のような趣を呈している。
 向かって右側には、本堂、庫裏が並んでいる。庫裏の前に大きなイチョウの木が聳えている。高さ25m、幹周り4m、葉張り20mという大木で創建当時に植えられたということから、約700年以上の樹齢をもつものと思われる。平成15年に本堂と庫裏は火災により全焼してしまったが、このイチョウは被害を受けることがなかった。庭園全体は名勝に指定されている。

永保寺G

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 私ども「中部復建」は、戦後から一貫して土木施設の計画設計に携わってきました。地域の皆さんに、より身近に土木を感じて頂きたく先人が残してくれた土木遺産等を訪ね歩き≪中部の『土木文化』見てある記≫として、皆さんに紹介していきたいと思い、このブログを発信する事としました。  

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プロフィール

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森 田 高 尚
昭和21年6月 半田市生まれ
平成12年 東山植物園長
平成17年 名古屋市緑地部長
平成19年 中電ブルーボネット園長
平成24年 中部復建技術顧問
技術士:(建設部門・環境部門)
公園管理運営士 
著書:「園長さんのガーデンライフ」
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