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槙原トンネルと乳岩山

 新城市の長篠地区から川合地区に至る、宇連川右岸に沿って走る細い道がある。「望月街道」 と呼ぶ。この道路は、長篠の豪商・望月喜平治が莫大な私財を投じて開設したものである。延長約14km、明治19年 (1886) に完成した。
 望月街道の中でも湯谷から槙原の間は、断崖絶壁が続くため工事は難航した。特に槙原トンネルをくり抜くのには多大な時間を要した。ここの岩は流紋岩で非常に硬いので、当時としては高価な火薬を使用してやっと完成させたという。当初は、馬と人がやっと通れるほどの幅と高さであったが、交通の発達とともに今の大きさに拡大された。

乳岩マップ

 宇連川の支流「乳岩川」を遡ると次第に急な山道となり、時には階段を登ることとなる。目的地は 「乳岩山 (ちいわやま)」、流紋岩質凝灰岩でできている巨大な岩山である。標高は675m。
 流紋岩は火山岩の一種、マグマの流動時に流れ模様をつくることからの命名。凝灰岩は火山灰の堆積でできる堆積岩のことである。乳岩山の南面に大小いくつかの洞窟がある。凝灰岩中に含まれる石灰分が溶け出して乳房状の鍾乳石ができているので「乳岩」 と呼ばれる。国の名勝天然記念物に指定されている。

乳岩G

宇連ダム

 豊川は、上流の長篠の地点で宇連川と合流している。合流地点は自然の要害となっていて、織田・武田の合戦で有名な長篠城 (このブログ26・9・28を参照) があった。宇連川を遡り、景勝地として名高い鳳来峡や湯谷温泉を過ぎ、三河川合から左に折れたところに 「宇連ダム」 がある。
 東三河地方は、昔から旱魃に悩まされてきた。そこで 「豊川用水」が計画され、終戦直後の昭和24年 (1949) に事業が始まった。その水がめとなる宇連ダムが完成したのは昭和33年である。豊川用水は、豊川・豊橋の平野を流れて渥美半島の先端まで、また西部に流れる水は蒲郡まで到達している。

宇連ダムG

 ダムの型式は重力式コンクリートダム、高さ約65m、水を集める流域面積は26万平方km、有効貯水量は2800万トンにも及んでいる。ダム湖は「鳳来湖」と名付けられており、満水時の面積は123haである。今年は7月・8月の降雨が少なかったので、湖の水位はかなり下がっていた。
 ダムのすぐ真下に「宇連ダム発電所」がある(上右の写真)。落差50mの水を、毎秒2トン流して「横軸フランシス水車」を回す。毎時760kwの発電をするが、この数字を見て思うこと・・・我が家の「太陽光発電機」は、毎時最大6kwの発電をする。1軒では小さいかもしれないが、多くの家で採用すれば、けっこう大きな数字になるのではなかろうか?

宇連ダムマップ


季節通信18ヒマワリ


湯谷の「水車製材所」跡

 豊川の河口部には、上流から流れてきた 「いかだ」 の集積地があり、板や柱に加工する製材所が たくさんあった。明治末になって鉄道が通るようになると材木を陸送できるようになり、山間部にも製材所が設置された。
 湯谷にあった 「東川製材所」 もそのひとつで、明治42年 (1909) に建設されたものである。戦後まもなく工場は焼失したが、水車や石組みが残っているという。赤い吊り橋から眺めると、川中の巨石 「馬の背岩」 の左岸にそれらしい痕跡を見ることができる。

湯谷水車G

 国道151号線から回り込んで近くへ行ってみると、確かに鉄製の大きな水車がわずかに頭だけを見せている。土砂や草に埋もれて全貌を見ることはできないが、水車の直径は5.5m、幅は1.22mもあったとのこと。水の力を利用して、ノコギリを回したのであろう。
 水車の水源は、280mもの上流にあった。小さな堰が今も残っていて、川の端に取水口跡がある。水路はすでに埋め立てられていて、今は 「ささやきの小径」 と呼ぶ散策路になっている。この古い温泉郷には、手筒花火や五平餅、天下の奇祭と言われる 「花まつり」 などの伝統的な文化が息づいている。

湯谷水車H

湯谷温泉駅

 湯谷温泉は、鳳来峡の宇連川沿いに広がっていて、日本百名泉にも選ばれている。温泉の歴史は古く、1300年前には開湯されていた。伝説によれば、鳳来寺の開祖・利修仙人により発見されたとある。仙人は温泉の効用により、308歳もの長寿を全うしたという。
 宇連川のこの辺りは、川底に岩盤が露出して砂や砂利も無いため 「板敷川」 とも呼ばれている。長い年月の間に削られた岩が、大きな滝や小さな滝を形成して、美しい景観を形つくっている。水深が浅いところでは、子供の水遊び場ができていた。

湯谷マップ

 鳳来寺駅は、JR飯田線の前身 「鳳来寺鉄道」 の開通とともに、明治32年 (1899) に建設された。現在は無人駅になっているため、乗り降りのホームへ行くのはフリーであり、車掌さんに切符を渡すようになっている。
 木造の駅舎は、窓や入口が板張りで閉ざされており、利用はできないようである。かつては、鉄道利用により訪れた観光客も、今は川むこうの国道151号線を利用するようで、新館は国道沿いに建てられている。駅前に建てられた歓迎アーチは、いかにもレトロな昭和の雰囲気である。

湯谷G

山車の独楽(ごま)

 半田市亀崎の 「潮干祭」 は、5輌の山車を潮干の浜へ “曳き下ろし” することで有名です。その昔、神武天皇が東征する折に、海からこの地に上陸したとの伝説に因んだ行事です。毎年5月3日・4日 (雨天順延) に開催されます。今年は久しぶりに、4日の日曜日に訪れてみました。
 世界遺産に登録されたこともあって、年々行楽客が増えています。曳き下ろしの浜辺は黒山の人だかりで、写真を写す隙間がありません。そこで、カメラを頭の上に持ち上げ、手探りで撮ったのがこの一枚です。何とか勇壮な曳き下ろしの様子を、皆さまにお届けすることができました

亀崎祭りマップ

 街中を引き回すときには、豪華な山車を間近に見ることができます。柱や梁の細緻な木彫や、金糸・銀糸による刺繍模様の豪華な幔幕などが見事です。下の写真の先頭は西組 「花王車」、2輌目が田中組 「神楽車」 です。そのほかに中切組 「力神車」、石橋組 「青龍車」、東組 「宮本車」 があります。
 「山車」 は、一般的には 「ダシ」 と読みますが、ここ亀崎では 「ヤマ」 あるいは 「ヤマグルマ」 と呼びます。約200もの部品から構成されていますが、毎年分解して大切に保管されています。車輪は 「独楽 (ごま) 」 といい、直径90センチ、厚さ30~40センチで、黒松の丸太材を用います。普段は消耗や亀裂を防ぐために海の干潟に埋めておき、一ヶ月ほど前に掘り出します。沿道に、神楽車の古い「独楽」が飾ってありました。

亀崎祭りG
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ブログを始めるに当って

 私ども「中部復建」は、戦後から一貫して土木施設の計画設計に携わってきました。地域の皆さんに、より身近に土木を感じて頂きたく先人が残してくれた土木遺産等を訪ね歩き≪中部の『土木文化』見てある記≫として、皆さんに紹介していきたいと思い、このブログを発信する事としました。  

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プロフィール

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森 田 高 尚
昭和21年6月 半田市生まれ
平成12年 東山植物園長
平成17年 名古屋市緑地部長
平成19年 中電ブルーボネット園長
平成24年 中部復建技術顧問
技術士:(建設部門・環境部門)
公園管理運営士 
著書:「園長さんのガーデンライフ」
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