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明治川神社と永安寺「雲竜の松」

 国道1号、名鉄新安城駅の北に、功績のあった偉人を祀る、由緒ある神社とお寺がある。
 「明治川神社」は、明治用水の通水を祝って創建された神社である。この用水は水不足に悩む碧海台地の人々が、江戸時代より望んだ開発であるが、完成したのは明治13年(1880)になってからである。
 明治用水については、2016年7月27日から3回に亘って、このブログで取り上げているのでご覧いただきたい。明治川神社は「大水上祖神(みくまりのおやのかみ)」始め三柱の水に由縁の深い神々を祀るとともに、明治用水開発に功績のあった4人の偉人を合祀している。

明治川神社マップ

 永安寺は、山門と本堂に加えて、門の前に地蔵堂があるのみの小さなお寺である。その由来書によると、江戸初期のころ刈谷藩から村に対し、宿場へ人馬を提供する「助郷役」が命じられた。庄屋は、村の窮状を訴えて免除を願い出た。宝永5年(1677)、彼は直訴の罪で死罪を賜ったという。 
 しかし願いは届けられ、村の助郷役は免除になった。村人たちは庄屋に感謝し、彼の旧宅に草庵を建立したが、後にお寺として整えられた。目を見張るのは境内いっぱいに広がった松である。高さは低く3方へ長い枝が伸びている。根元の幹は太く地を這っているため風に強く、350年も生き延びている。


季節通信90冬の花

ハンガリー平原の牧畜

 中央アジア・ウラル山脈あたりのステップ地帯にいた遊牧騎馬民族マジャール人が、4世紀ごろから西に移動を始め、10世紀初め東ヨーロッパにハンガリー王国を打ち立てた。「ゲルマン民族大移動」の原因という。ハンガリー平原では、今も遊牧生活の名残りを見ることができる。
 5年ほど前ハンガリーを訪ねた時に、大草原を体験することができた(遊牧民の案内で騎乗しているのは筆者)。はるかかなたに、日本では出会うことのない地平線が見える。馬を思うままに操る騎馬民族の見事なデモンステーションも見ることができた。

ハンガリー平原

 馬に乗りながら飼育するのは羊・山羊・豚(イノシシ)、それに牛である。ここでは、日本では見たことのない様々な種類の牛が放牧されている。名前は聞きそびれたが角の長い白い牛、沼地で水浴びをしているのは水牛の仲間であろう。
 牛には胃袋が4つあり、何度も繰り返し噛むことにより草を消化する。反芻動物という。この仲間にはウシ・ヤギ・ヒツジなどがある。カモシカは「シカ」とはいうが、ウシに近い仲間である。ウシの分類はややこしいがホルスタインなどの乳牛と黒毛和種などの肉牛に分けることができる。


季節通信89ロウバイ

天満宮の牛

 2021年の始まりです。昨年は新型コロナの蔓延など、明るい年だったとは言えません。今年こそ、太陽が輝くような明るい良い年にしたいものです。新年とは言え、人の混雑するような大きな寺社への初詣は憚られてしまいます。近所の氏神様か菩提寺への参拝にしようと思います。
 私は、子供の受験生時代にお参りしたのをきっかけに、毎年、岡崎にある「岩津天神」に初詣することにしていました(今年は行けません)。天満宮は、菅原道真公を祭神とする学問の神社として、多くの人たちに親しまれています。全国に1万2000もの天満宮があるそうです。

天満宮の牛2

 天満宮には必ずと言っていいほど、道真に縁の深い「牛」の像があります。牛の体を撫でると頭が良くなったり、病気が治るなどのご利益があるそうです。上の写真は岩津天神の牛、下は京都・北野天満宮の牛の写真です。
 天満宮にはもう一つ、梅の木が付き物です。「東風(こち)ふかば にほひをこせよ 梅の花 あるじなしとて 春なわすれそ」(宝物集)、九州・大宰府に左遷となった道真が京を偲んで詠いました。今年は丑年ですので、牛の話題から始めました。

阿智村の浪合神社と尹良親王御陵墓

 中学・高校時代、歴史の年号を覚えるのが苦手だった。数学や物理の問題を解くのは楽しかったけれど、国語の漢字など暗記ものが好きになれなかった。単に、勉強時間が足らなかっただけかもしれないが。日本史の中でも「南北朝時代」というのは特に分からなくて、今でも実態が掴めない。
 南北朝時代とは、源頼朝が樹立した鎌倉時代が終焉し、足利尊氏の室町幕府が始まる14世紀中ごろの約60年間をいう。後醍醐天皇が吉野に逃れて開いた南朝に対し、京都の朝廷を北朝といい、武家を巻き込んで争いを続けた。後醍醐天皇は自らの皇子を各地に派遣して内乱をくり返した。

浪合神社マップ

 尹良親王(ゆきよししんのう=1364~1424)は後醍醐天皇の孫で、父・宗良親王(むねながしんのう)の討幕の意思を継いで東国各地を転戦した。応永31年(1424)三河・足助へ向かう途中、阿智村・浪合のこの地で、北朝方と戦って敗れ(「浪合合戦」という)自害したという。
 尹良親王を祭神とする浪合(なみあい)神社は、延宝年間(1673~1681)に造営された。石造りの鳥居から続く長い坂の参道には、大きな杉の木が並んでいる。社殿の左奥の樹林の中に、宮内庁管理の「尹良親王御陵墓」がある。親王の御首(みぐし)が埋められた場所という。

浪合神社G

岩倉神社の「農村舞台」

 西中金駅北側の山裾に、岩倉神社が鎮座している。一段高い石垣の上に本殿があるが、その建物は一回り大きな上屋で保護されている。本殿の前に拝殿があるのは普通であるが、この神社の特色は、さらにその前に「農村舞台」が設置されていることである。 
 舞台は、間口8間、奥行き5間という大きなもので、この地域にある神社の舞台としては最大のものという。また、回転床、すなわち「廻り舞台」が備えられていることも特徴である。江戸時代後期の文化5年(1808)に建立され、昭和30年代までは歌舞伎や芝居の興業が続けられてきた。

農村舞台

 しかし、その後は娯楽の多様化が進み、舞台の使用頻度が少なくなり損傷も激しくなってしまった。それではいけないと、平成12年になって地域の人たちは「石野歌舞伎保存会」を設立して再興を期すこととした。翌13年には廻り舞台も含めた大改修が行われ、14年からは毎年10月に定期公演が開催されている。現在、豊田市の有形民俗文化財に指定されている。
 境内の片隅に、幹が曲がりくねった老大木がある。看板がついていて、「アカメヤナギ」と記されていた。この木は木曽川の河川敷や、鶴舞公園の池畔など水気の多い土地に自生する性質をもっている。ここも、田んぼの近くの傾斜地であった。
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ブログを始めるに当って

 私ども「中部復建」は、戦後から一貫して土木施設の計画設計に携わってきました。地域の皆さんに、より身近に土木を感じて頂きたく先人が残してくれた土木遺産等を訪ね歩き≪中部の『土木文化』見てある記≫として、皆さんに紹介していきたいと思い、このブログを発信する事としました。  

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プロフィール

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森 田 高 尚
昭和21年6月 半田市生まれ
平成12年 東山植物園長
平成17年 名古屋市緑地部長
平成19年 中電ブルーボネット園長
平成24年 中部復建技術顧問
技術士:(建設部門・環境部門)
公園管理運営士 
著書:『園長さんのガーデンライフ』
監修:『世界一うつくしい植物園』
 (著者:木谷美咲)
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