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鶴舞公園の花菖蒲池

 鶴舞公園は名古屋市初めての公園として、明治42年に開園した。その翌年の明治43年には「第10回関西府県連合共進会」という一大イベントが開催され、名古屋市民の5倍を越えるような入場者があり、この博覧会がきっかけとなって名古屋市が大発展を遂げたといわれている。
 公園の全体設計は、当時第一人者の本多静六と建築家の鈴木貞次が行い、東側の日本庭園部分は、名古屋在住の茶道宗匠が担当した。竜が池(かつてのボート池)西にある花菖蒲池は大正11年に造られたという。公園の整備は博覧会の後、大正の後期まで続いているので、花菖蒲池は公園開設の当初から利用されたものと思われる。

鶴舞公園菖蒲池マップ

 面積1haほどの庭園には3つの池があり、90種2万株のハナショウブが植えられている。一番大きな池には石造りの八ッ橋が架かっていて、中の島には傘亭が建っている。毎年6月初めの日曜日には、池の畔で野点の茶会が開催される。今年は開花中の2週間、雪洞(ぼんぼり)によるライトアップも行なわれた。
 公園中央にある緑化センターの一階ホールで、名古屋花菖蒲会が主催する「鉢花・切花」の展示会(下左)が開催された。菖蒲池から南へ向かう広い園路の両側には、ハナショウブと同じ時期に咲くアジサイが植えられている。花も樹形も小型な姫紫陽花(下右)が満開を迎えていた。

鶴舞公園菖蒲池G

瑞穂運動場と日比野寛先生像

 名古屋市の運動場の歴史は、明治42年(1910)に開園した鶴舞公園の陸上競技場に始まる。しかし、トラックやスタンドの規模が時代の要請に比べて小さくなったことから、昭和16年(1941)に瑞穂運動場に移って拡大された。
 戦後に始まった国民体育大会の第5回目(昭和25年)の開催地に愛知が選ばれ、瑞穂陸上競技場がメインの会場となった。その後、昭和58年の高校総体(インターハイ)や平成6年の「わかしゃち国体」の度ごとに、大改修を施して会場として使用されている。平成6年からは、サッカーJリーグのホームスタジアムとしての役割も果たしている。

瑞穂運動場G

 陸上競技場の南隣に、ラグビー場がある。毎年、地域の高校・大学のリーグ戦や、トップリーグの対戦が行なわれている。今年の秋、日本で初めての「ラグビーワールドカップ」が開催される。全国各地のラグビー場で激戦が繰り広げられるが、当地では、瑞穂よりスタンド数の多い「豊田スタジアム」が選ばれている。
 陸上競技場の正面ゲートの横に、ひとりの男性の銅像が立っている。日本のマラソンの始祖とも言われる日比野寛先生を顕彰して、昭和41年に建てられたものである。日比野先生は長く愛知一中(現旭丘高校)の校長を務められ、身体の強健と精神の健全との一体を教育の理念とした。「病人は病院へ行け、弱いものは歩け、健康な者は走れ、強壮な者は競争せよ」と説いたという。

瑞穂運動場マップ

高月院(松平家菩提寺)

 司馬遼太郎が、25年間書き続けた名著に『街道をゆく』がある。その最終巻は、NO43の『濃尾参州記』であるが、本の厚さが他のシリーズに比べて半分ほどしかない。それは、愛知のこの取材途中で体調を悪くし、その後急逝したためである。
 絶筆となったその本の、そのまた最終章が「高月院」である。司馬遼太郎は、このときの訪問(平成8年)の30年前にもこの地を訪れていて、とても清らかな印象を覚えているという。以下抜粋して引用・・・
  「高月院はいいですよ」 私は、同行の編集者にわがことのように自慢しておいた。
  白壁だけが、唯一の贅沢だった。規模は小さく、建物もやさしくて、尼僧の庵のようであり、
  いずれにしても私の脳裏にある日本の諸風景のなかでの重要な一風景だった。・・・

高月院マップ

 松平東照宮から東へ向かってなだらかな坂を300mほど登ると、大きな一本松があってその下に松平家菩提寺の門がある。門の扁額は杢の入った厚板で、「高月院」の文字が刻まれている。この門から階段上の中門までの間は少し広い砂利敷きで、両側には漆喰塗りの土塀が連なっている。
 白壁の高さはせいぜい4尺(1.2m)程度で、塀越しにはるか遠くまで見渡すことができる。左を見ると菖蒲池があり、その下方に東照宮の森が見える。右側は棚田で、綺麗に草刈された土手を見せながら段々に登っていく。司馬遼太郎が日本で最も美しいと折り紙を付けた風景である。

高月院G

松平東照宮と家康産湯の井戸

 豊田の市街地を過ぎ、東に向かって国道301号を走ると矢作川を渡る。左に豊田スタジアムを見ながらさらに進み、東海環状自動車道の高架をくぐると巴川に至る。次第に山が深くなるところに小集落があり、松平郷と呼ぶ。
 戦後になって豊田市に編入されるが、明治初めは松平村と名付けられていた。松平は徳川の元の名、ここは松平家・徳川家発祥の地である。松平家初代の親氏がこの地に居を構え、氏神として若宮八幡宮を勧誘したのが始まりで、二代将軍秀忠の時代に神君家康を合祀して「東照宮」となった。

松平マップ

 東照宮の周りには、松平氏の居館であった当時からの深い堀が築かれている。後背地は深い山地で、防御の固い館だったと思われる。南面の山を登ったところに松平城の跡がある。北東角の山裾には、こんこんと清水の湧く井戸がある。武家屋敷には必須の水であったのであろう。
 天文11年(1542)12月に、家康が岡崎城で生まれた。そのとき、この井戸から水を汲んで竹筒に入れ、岡崎まで早馬で運んで産湯に使ったという伝承が残っている。「家康産湯の井戸」は石柱の柵に囲まれており、立派な門と社により祀られていた。

松平G


季節通信43フタバアオイ

国道256号(秋葉街道)

 秋葉街道は、諏訪湖近くの茅野を起点に、高遠・地蔵峠・青崩峠を越え、遠州「秋葉山」へ至る、延長200kmの長い道である。火防(ひぶせ)の神「秋葉山本宮秋葉神社」へ詣でる信仰の道であるとともに、山と海を結ぶ交易の道でもあった。
 この谷間の道筋は、まさに中央構造線の断層そのものである。赤石山脈とその前衛たる伊那山脈の間の深い谷が南北一直線に連なり、高遠や大鹿村などを結ぶ道である。天竜川沿いの飯田からは、上久堅から「小川路峠」を越えて秋葉街道本道に合流する道がある。国道256号である。

小川路峠G

 国道256号は、途中までは車の通れる幅広の舗装道であるが、途中から林道のような地道になり、さらに進むと人ひとりしか通れない山道になってしまう。ところがこの杣道が国道だというのでビックリする。延々と4時間半歩いて小川路峠に辿りついた。
 この街道は、かつては秋葉詣の重要な道であった。また、山住みの人々に馬で荷駄を運び上げ、山からは炭や石灰などの産物を下ろす産業道でもあった。切立った崖に転落した牛馬も多かったのであろう。途中に安全祈願のための馬頭観音など観音様が33体置かれていた。(下の写真は、小川路峠から見た赤石山脈、白い雪をかぶった山は標高3121mの赤石岳)

小川路峠マップ


季節通信42クロモジ


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ブログを始めるに当って

 私ども「中部復建」は、戦後から一貫して土木施設の計画設計に携わってきました。地域の皆さんに、より身近に土木を感じて頂きたく先人が残してくれた土木遺産等を訪ね歩き≪中部の『土木文化』見てある記≫として、皆さんに紹介していきたいと思い、このブログを発信する事としました。  

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プロフィール

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森 田 高 尚
昭和21年6月 半田市生まれ
平成12年 東山植物園長
平成17年 名古屋市緑地部長
平成19年 中電ブルーボネット園長
平成24年 中部復建技術顧問
技術士:(建設部門・環境部門)
公園管理運営士 
著書:「園長さんのガーデンライフ」
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