fc2ブログ

Entries

新東名高速「豊田アローズブリッジ」

 ブログの取材などのために高速道路を走るとき、よくこの橋を渡る。名港のトリトン(2017・3・12)も巨大でシンボリックだが、この橋はさらにビッグなイメージである。停車するわけにはいかないので、フロントガラス越しに何回か写真を撮った。一度、地上から眺めてみたいと思っていた。
 下から見るとそのボリュームにびっくりする。特に橋脚の基部というか橋台というか、コンクリートの固まりはもの凄い。幅は50mを越えるものと思われる。主塔の高さは110m。橋長820m、幅員約45m、「波形ウェーブPC複合斜張橋」という。平成17年(2005)に完成している。

アローズマップ

 新東名高速道路が矢作川を越える地点に架かっている。完成時には、まだ伊勢湾岸道路と言っていた。愛知万博開幕直前の開通であり、自動車での来場を想定しての供用開始であった。その前年には、土木学会に認められて「田中賞・作品部門」を授与されている。
 「アローズ」というのは英語で「複数の矢」を意味する。矢作川の「矢」も意識しているのであろう。私はその形から、いつも「竪琴」を連想してしまう。現在のハープでなく、古典的な「ライアー・ハープ」である。鶴舞公園の奏楽堂の屋根飾りに使われているモニュメントに似ていると思う。

アローG

豊田大橋と久澄橋

 昨年はサッカーのワールドカップで盛り上がったが、4年前(2019)にはラグビーワールドカップが国中を熱狂させた。豊田市でも予選の4試合が開催され、海外からの応援団を含めてたくさんの観客が詰めかけた。観客の多くは、豊田市駅を降りて「豊田大橋」を渡ってスタジアムへ向かう。
 その様子は、2019年10月に4回に亘ってご報告した。「豊田大橋」は、バスケットハンドル型ニールセンローゼ橋という形式で、長さは約475mである。平成11年(1999)の完成。スタジアムと同じ黒川紀章の設計によるので、両者を合わせて一体のデザインとなっている。

豊田大橋G

 豊田大橋の1本下流に、もうひとつ白亜の橋梁が架かっている。「久澄橋」という。長さ274m、幅員25m、二つの大きなアーチのある単弦ローゼ橋である。独創的なデザインと景観の両立、構造の統一性などが評価されて、平成6年度(1994)の土木学会田中賞を受賞している。
 松平や稲武方面へ行くときによく通る橋である。豊田の市街地を抜け、視界が広々と開ける。矢作川河川敷の芝生も美しく、上流に見える真っ白なスタジアムや大橋と調和している。黒川紀章のアートを鑑賞しながら走る、心地良い空間である。

豊田大橋マップ

◆◆桶狭間古戦場◆◆

◆◆NHK大河ドラマが始まりました。今年は「どうする家康」です。このブログは「中部の・・・」ですから、家康や徳川に係わる「土木文化」も数多くご紹介してきました。これから時々思い起こしながら再掲していきたいと思います。◆◆

 「桶狭間の戦い」は、信長の天下取りの端緒ともなった戦いであるとともに、家康のデビュー戦でもある。戦国の歴史の中でも最も重要なエポックだと思う。信長が鉄砲を導入した「長篠の合戦」や、家康の天下取りに繋がった「関ヶ原の戦い」に匹敵する歴史の大転換点であった。
 桶狭間の地には、今川義元終焉の「桶狭間古戦場跡」以外にも「大高城跡」「鷲津砦」「善照寺砦」など貴重な歴史遺産が公園となって現存している。この地域全体を有機的に結びつけて、この「戦場」のストーリーをもっとアピール(歴史学習や観光)すべきと考える。

桶狭間G

 「桶狭間」のストーリーは、歴史書や小説によっていろいろ語られるが、私の認識を1枚のポンチ絵にしてみた。真偽のほどは読者の判断にお任せするが、絵(マップ)にするといかにも尤もらしく見えると思いますがいかがでしょう。
 ◆今川義元は大軍(2万5千人とも言われる)を率いて京へ向かった。尾張など蹴散らす勢いで。
 ◆今川方の前線基地として、鳴海城と大高場には今川の武将が城を守っていた。
 ◆織田側は、大高城の周りに「鷲津砦」「丸根砦」を、鳴海城の周囲に「丹下砦」「善照寺砦」を築いて攻め立てた。
 ◆孤立した大高城には、今川の先鋒「家康隊」が援軍に向かい、食料(兵糧)も運び入れた。
 ◆今川軍はちょうど昼時だったので長い隊列のまま休憩し昼食を食べていた。(酒も出たという)
 ◆織田軍は川の対岸に陣地を造って渡河を容易にした(橋頭堡という。中嶋砦がそれである。)
 ◆信長は10分の1の兵力で、今川隊列の先頭を急襲した。急に雨が降り出したともいう。
 ◆あわてた今川側は総崩れとなり、とうとう大将の義元までが討たれてしまった。
 ◆大高城に居た家康は、岡崎城へと引き上げた。これで今川の人質状態が終わった。


町並みに残る「小物たち」

 美濃の町並みの主役は「うだつ」であるが、脇役の「小物」にも面白いものがある。「すぎ玉」は、酒屋のシンボルである。その年の新しいお酒が出来上がると、まだ緑色の「すぎ玉」を軒に吊るす。それが合図となって、新酒を求めて人々が買いに来るという。
 「矢来」というのは、竹などを編んで作った仮の囲いである。「やらい」は、追いやること。「犬矢来」は、軒下の空間に犬などが居つかないように防御したものであろう。腰板に、変わった形の「梯子」が架かっていた。先が「刺股」のようになっている。火事などのときに使うものと思われる。

美濃小物G

 建物沿い、道路脇に水が流れる側溝がある。もちろん排水にも使われるが、常時水も流れているのであろう。生活用水としても使われるが、いざ火事のときに役に立つ。「うだつ」もそうだが、木造建築の立ち並ぶ宿場町にとっては「火事」が最も怖い災いである。「馬つなぎ石」も置いてあった。
 「屋根神様」については、以前から注目している(2017・11・27の「岐阜・河原町」参照)。美濃にも立派なものがたくさんある。現在は高台に町があるので、洪水の危険性は薄いが、かつては川湊近くに商家が集まっていたという。高台に移転したときもそのまま祠を屋根に残したものであろう。

美濃屋根神様G

うだつの上がる町 美濃

 「うだつ」とは延焼防止のための防火壁のことだが、「うだつが上がらない」という慣用句としても知られている。宿場町などの大きな商家などに目立つので、このブログでも何回か取り上げてきた。有松宿(2015・5・21)、中津川宿(2016・12・31)、太田宿(2017・1・23)、鵜沼宿(2021・12・3)を参照願いたい。
 美濃の宿場町は「うだつの上がる町並み」を標榜している。小倉山城の麓に二筋の古い町並みがあり、うだつを持つ商家が軒を並べている。飛騨高山に城を築き、街並みも造り上げた戦国時代の武将・金森氏が、美濃にもお城と町並みをつくり上げたのである。

2美濃G

 中山道加納宿(岐阜市)から、郡上八幡へ向かう道を「飛騨街道」という。さらに北へ進んで、白山信仰ゆかりの里「石徹白(いとしろ)」へ向かう祈りの道でもある。美濃は陸路だけでなく、舟便の上有知湊(2017・9・23参照)もある、交通の要衝であった。豪商は競ってうだつを上げたのであろう。
 その中で一軒風変わりな建物があった。屋根が「むくり」になっている。神社の屋根は窪んだ「そり」を持つが、「むくり」は逆に膨らみをもつ。造り酒屋の蔵元で、「百春」と記された暖簾が架かっている。酒屋らしい「すぎ玉」、「屋根神様」、「犬矢来」などもあって興味深い建物である。

美濃マップ

季節通信202三つ葉葵


▲ページトップ

Appendix

カレンダー

01 | 2023/02 | 03
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 - - - -

ブログを始めるに当って

 私ども「中部復建」は、戦後から一貫して土木施設の計画設計に携わってきました。地域の皆さんに、より身近に土木を感じて頂きたく先人が残してくれた土木遺産等を訪ね歩き≪中部の『土木文化』見てある記≫として、皆さんに紹介していきたいと思い、このブログを発信する事としました。  

コンパクト月別アーカイブ

最新記事

         

建設・補償コンサルタント

プロフィール

FC2USER480348EQK

Author:FC2USER480348EQK
森 田 高 尚
昭和21年6月 半田市生まれ
平成12年 東山植物園長
平成17年 名古屋市緑地部長
平成19年 中電ブルーボネット園長
平成24年 中部復建技術顧問
技術士:(建設部門・環境部門)
公園管理運営士 
著書:『園長さんのガーデンライフ』
監修:『世界一うつくしい植物園』
 (著者:木谷美咲)
FC2ブログへようこそ!

最新トラックバック

        

検索フォーム

QRコード

QR
▲ページトップ