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区画整理

 土地区画整理事業は、新しい街を造る事業のひとつである。田畑や山林あるいは宅地の区画を整理することにより、整然とした街を生み出す手法である。地主は敷地面積を減らされるが(減歩という)土地の価格は上昇する。減歩により生み出された用地は道路や公園などの公共施設となる。
 現在、我が家の目の前で区画整理の工事が行なわれている。「東郷中央土地区画整理事業」といい東郷町が進める「セントラル開発」の核となる事業である。施行面積43.4ha、施行期間は平成26年から35年までである。

区画整理マップ

 東郷町は名古屋に隣接する丘陵地で、近年、住宅地としての供給は増えている。しかし、鉄道の駅が無く、中心となる商店街もない町であった。町役場や福祉施設などに隣接するこの地域も、田畑や山林であり、街らしい形態とは言えなかった。
 この事業により、都市計画道路「名古屋春木線」沿いに店舗が建ち並び、交通の便を図るためにバスターミナルもできる。しかし何といっても最大の目玉は「ららぽーと」(上はイメージ図)である。関東を中心とした大型ショッピングモールであるが、最近は中部地方にも進出している。今月1日に着工し、2020年の秋にオープンが予定されている。

ナディアパーク

 市制100周年を記念して平成元年(1989)に開催された「デザイン博覧会」を契機として、名古屋市は「デザイン都市宣言」を行なった。ナディアパークは、その内容を盛り込んだ“国際デザインセンター”事業として建てられたビルである。平成8年に竣工している。
 地上12階・高さ70mのデザイン棟と、23階・108mのビジネス棟のツインタワーで、真ん中にガラス張りのアトリウムがある。アトリウム内広場の公開空地と南にある矢場公園は、階段と幅広いデッキでつながれている。(右の鳥瞰写真は、日建設計が作成した「栄地区ジオラマ」の一部である)

バディアG

 階段の中央に、金色に輝く大きな具象の彫刻が立っている。作者は、日展理事長も務めた文化勲章受章者・富永直樹氏である。守山区在住の篤志家夫妻が、青少年に夢を持ち続けてほしいと寄贈された。作品名は「夢の女神」である。
 幅広のデッキは、道路空間に光を入れるために大きな穴が空いている。ここには建築以前から植えられていたシイノキの大木が残されている。ナディアパークの敷地は、もともと前津中学の分校(夜間は中央高校)であり、南の矢場公園と一体的に利用されていた。名古屋の戦災復興都市計画事業では、より広い防災空間を確保するため、学校と公園とがセットで配置されている。

ナディア マップ


季節通信36桃の節句


作手の大木

 作手には、いくつかの城跡と数多くの神社・仏閣があり、その境内や裏山に古木・大木がありますのでご紹介します。

◆ サクラ・・・石橋城跡は、今は石橋山慈昌寺というお寺になっている。石橋城は奥平氏二代目の弾昌久勝が最初の城主であったが、主君への謀反が露見して攻められ、討ち死にしてしまった。後世、当山の第二世和尚が一族の滅亡を哀れみ、この地を貰い受けて寺にしたという。墓所の斜面に植えられたサクラの大木は、久勝に因んで「弾昌桜」と呼ばれている。

作手大木G

◆ ヒノキ・・・白鳥神社は日本武命を祭神とし、村民は「古宮」と称して崇敬してきた。神社の裏山が「古宮城」で、元亀2年(1573)に甲斐の武田信玄が三河攻略の拠点として築城したものである。境内右手の山への登り口が、古宮城の「虎口」のあったところである。裏山はスギやヒノキの樹林となっているが、その中に一際目立つのが「大ヒノキ」で御神木になっている。樹高29m・幹周り5.8m・樹齢600年といわれている。

作手大木H

◆ コウヤマキ・・・翔龍山甘泉寺は、その境内に「鳥居強右衛門」の墓所があることでも有名である。本堂左手の山裾に国内一の巨樹といわれるコウヤマキがある。この樹は、この寺を開山した和尚が、高野山からついてきた杖を差したところ根付いて成長したのだという。今から600年ほど昔の話である。
 樹高27m・幹周り6.3m、国の天然記念物であり「新・日本名木百選」にも選ばれている。「コウヤマキ」はスギ科コウヤマキ属の常緑針葉樹で、日本と済州島のみに自生する固有種である。平成18年に誕生した悠仁親王の「お印」になっている。

作手大木I

作手の湿地

 作手にはたくさんの湿地が残っている。先々回の記事で書いたように、作手の盆地は、太古の湖が次第に湿地に変わり、人の手が入った後に水田になったものと思われる。分水点のあたりは「大野原湿地」と呼ばれた最大の湿地であったが、今は水田になっている。
 長い間湿地状態が続くと、枯れた草が堆積して泥炭層(ピート層)となる。大野原湿地では最も深いところで4mもの厚さだという。丘陵地の麓近くにある「長ノ山湿原」(左の写真)の泥炭層は、約2mである。この湿原は水位が高い所と低い所を併せもつ典型的な「中間湿原」である。

作手の湿地G

 山間の浅い谷にある「黒瀬原湿地」(右の写真)は棚田状の水田であったが、長年耕作が行なわれずに放置されたために元の湿地状態に戻ったのだという。見学ができるように園路や木道などが整備され、植物や昆虫、魚などの説明看板も設置されている。
 幼虫の時代に水中で生息する(ヤゴと呼ぶ)トンボの仲間が豊富で、世界一小さな「ハッチョウトンボ」(2017年8月11日掲載の「豊明の湿地その1」参照)も見られる。植物では、スイレンの野生種ヒツジグサや食虫植物のタヌキモ・ミミカキグサなどが生えている。下の4枚は、この地に自生する種であるが、他所で撮影した写真である。

作手湿地H

作手の見代発電所跡

 本宮山スカイライン入口のある和田峠を北東に進んだところに、愛知県では2番目にできた発電所の跡がある。見代発電所という。日本での水力発電所は、明治21年(1888)に宮城県でできたのが最初であるが、この発電所も古く、明治41年(1908)に送電を開始した。
 水源は約2.5km離れたところにあり、木や鉄の樋、石の開渠などによって貯水槽に運ばれ、約100mの落差を使って横軸2基の発電機を回す。電気は豊橋の変電所に送られたが、地元集落21戸の電灯にも使われたという。

見代発電所マップ

 昭和34年(1959)に発電を停止して機械設備はなくなったが、木造平屋の建物は今も残っている。アメリカ下見板張りで上げ下げ窓の洋風建築である。土台石積みの下方に、半円形の排水口が見える。ここから巴川に直接水を流していた。
 水の取入れ側の壁面は石造りである。落差100mもの水の勢いを受け止めるため、頑丈な造りとしたのであろう。廃止後は茶工場などに使われていたが、今は空き家になっている。しかし最近、建物内に「薪ストーブ」を設置し、間伐財などを利用した「再生エネルギー塾」が動き出している。若い人たちの体験活動の場として再利用されるようになった。

見代発電所G


季節通信35梅の花


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ブログを始めるに当って

 私ども「中部復建」は、戦後から一貫して土木施設の計画設計に携わってきました。地域の皆さんに、より身近に土木を感じて頂きたく先人が残してくれた土木遺産等を訪ね歩き≪中部の『土木文化』見てある記≫として、皆さんに紹介していきたいと思い、このブログを発信する事としました。  

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プロフィール

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森 田 高 尚
昭和21年6月 半田市生まれ
平成12年 東山植物園長
平成17年 名古屋市緑地部長
平成19年 中電ブルーボネット園長
平成24年 中部復建技術顧問
技術士:(建設部門・環境部門)
公園管理運営士 
著書:「園長さんのガーデンライフ」
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